教師ってどこまでが仕事なの?と思った出来事
目次
約20年教師をしてきて、いろいろなことがありました。
自分で言うのもなんですが、比較的熱心(熱血系)教師だったと思います。
あっ、体罰とか暴言とかはないですよ。当然、怒ったり叱ったりはありますけど。
ある程度子どもたちのためにと思って動いてきた僕でも、これって教師の仕事なの?と、首をかしげるうようなことが何度かありました。
でも、結局、やっちゃうんですけどね。でも、それは悪循環だと今は思っています。
今回は、そう思った出来事の1部を少しご紹介したいと思います。
これって教師の仕事かな?
①「先生、怒ってください」
2年生の担任をしていたとき、連絡帳にこんな感じのことが書いてありました。
『昨日、おやつを食べたくないと言ってだだをこねてこまりました。先生からも怒ってやってください。』
と。
教師4年目だった私は、「えっ、これって教師に頼むことかなあ」と思いつつ怒るというよりも、子どもに何が嫌だったのかを聞いてみることにしました。
すると、
「おやつは、シュークリームだったけど、僕は、甘いおやつじゃなくて、ポテトチップスみたいな辛いおやつを食べたかったから、食べなかった。」
と。はっきりと理由もあるし、そんな気持ちのこともあるだろうと思いつつ、拒否の仕方がどうだったかな?とか、伝える方法について、一緒に子どもと考えて終わりました。
② 「先生は、いつから来てくれるんですか」
これも2年生を担任したとき。
4月終わりに家庭訪問があり、あるお家へ行きました。
予定通り話を聞き終えて、終わりかなというころに、親からこんなことを言われました。
「先生は、いつから勉強を教えに来てくれるんですか?」
と。どういう意味かたずねると、どうも1年生のときの担任の先生が、放課後に授業の補習として20分ぐらい教えに来ていたようなのです(行けるときに不定期で)。
少し理解するのに時間がかかる子ではありましたが、そこまで前の担任がしてしまうと、こういうことが起こりますよね。
そこで、「家に行くということはありません。1年生の先生も善意でされていたのだと思います。できるだけ、授業中に理解ができるように良い授業を心掛けます。もし、ここが分かっていないなと思うところがあれば、フォローできるプリントを作ります。それでも、まだ分からないという場合は、日を決めて、放課後学校で勉強しましょう。」
これ自体も、教師の仕事をオーバーしている部分も一部あるのですが、教師のほとんどは、無理だとわかってはいても、授業中に全員に勉強内容を理解してほしいという理想を持っています。
だから、塾に頼ってしまうのは正直くやしいところではあるのです。ただ、そんな理想をもちつつも、物理的に全員を完璧に授業中や放課後にフォローするというのは難しいというのも現実です。
③「先生、なぜ来てくれなかったのですか」
6年生を担任したとき。
サッカークラブに所属していた子どもの大会がありました。
当然、6年生ということもあり、最後の大会です。
その大会に、先生が来てくれなかったということで、保護者の方から、怒りというか悲しみというか、
『どうして応援に来てくれなかったのですか』と、そんな連絡を受けました。
どうも、お兄ちゃんのときは、担任の先生が来てくれたそうなのです。
②の事例もそうなのですが、前の担任の先生の善意が、当たり前になってしまうことってあると思います。保護者の方も、そういうものと思っていたのでしょう。仕方がないことですが、休日の学校行事ではない活動。先生を比較したときに、休日返上して教師が応援に来てくれる。きっと、私が来なかったことで、子どもがさみしがっていたのでしょう。
前の担任と比べて、「冷たい」「薄情」と思われても仕方がないのかもしれません。
ただ、そう思ったとしても、教師の仕事ではないのは明らかです。教師にも自分の家庭がありますから。
ただ、もし「見に来てくれたら」と思うときは、先生に「見に来てくれませんか」と言ってみてもいいと思います。
用事がなければ、先生は、見に来てくれると思います。
④「自転車の乗り方を教えてあげてください」
これも6年生のとき。
私の勤めていた学校の中学は、自転車通学になります。
しかしながら、その男の子は、自転車(こまなし)に乗ることができずに6年生まできました。
今更、親が自転車に乗る練習をしようと言っても、「したくない」と言ったまま、冬がやってきました。
さらに、寒くなって、さらに練習なんかしたくないという状態だったそうです。
「自転車の乗り方を先生の方で教えてあげてくれませんか」
と。
当然、これは教師の仕事ではないのですが、自転車に乗れずに不登校になってしまったらと思ったこともあり、引き受けることにしました。
放課後2回と、日曜の1回の練習を経て、乗ることができるようになりました。
あとは家で乗るように言っていましたが、どうもあまり乗っていなかったようです。
卒業してからのある日。その子が、自転車を押しながら友達と楽しそうに中学校から帰宅している姿をみました。
多分、まだ、がたがたした道とかは難しいんだと思います。友達と一緒に動くには、まだまだふらふらするんだと思います。それでも、一緒に押して歩いてくれる友達がいて、うれしかったのを覚えています。
これって教師の仕事かなっと思った出来事のまとめ
他にも、親とうまく関われない子を、散髪に連れて行ってあげたり、ご飯を食べに連れて行ってあげたりもしました。
釣りに連れて行ったりもしました。親が起きれないということで、毎朝、電話をかけたり、起こしに行ってあげていたこともあります。おやつを買って、日曜日に家に遊びに行ってキャッチボールをしたりもしました。
部活とかもそうだと思うのですが、教師の枠を超えて関わることで、深くなる信頼関係(絆)もあります。つまり、人として子どもや保護者と関わるということです。
①や④の事例は、「先生なら」とか「先生しか」と思って頼ってくれたからだと思います。
教師の仕事以上のことをして、子どもや保護者と関わってきたからこそ、良い信頼関係を築くことができたんだと思います。そうした方法しか思いつかなかったという部分は、教師としての未熟さでもあるのかもしれません。
昔は多かった学園教師ドラマの主人公も、教師の仕事以上のことをして関わっている姿があったからこそ、多くの人が、そのドラマを見て感動したり、教師になってみたいと思ったんだと思います。
でも、実際にそうした行動をすべての教師ができるわけではありません。
例えば、銀行に対して「休日も営業してほしいな」とか「平日も夜に営業しておいてほしいな」と思ったことはあっても、そのことに対して、「なぜ営業しないんだ」と、文句を言いにいくとはないでしょう。なぜなら、すべての銀行がそうであり、それが当たり前だとみんなが思っているからです。
だから、熱心な先生たちががんばればがんばるほど、これからの先生たちに対して、教師はそこまでして当たり前となり保護者も求めることが多くなっていきます。
でも、それ自体が、先生の余裕をなくして、小さなミスを積み重ねさせてしまう原因になっていくかもしれません。
そして、当たり前にしてくれることではないということを、保護者側になった私自身も理解しておかなければいけないことだなあと思います。