子どもをいじめから守る方法
目次
「いじめ」は絶対に無くさなくてはいけない問題ではあるものの、残念ながら0にできていないのが学校現場です。
でも、学校のせいとかではなく、人間の本質にそうした部分があるもの確かです。
いじめは、大人の世界にもあります。ネットの中では、匿名性からもっとひどい言葉が飛び交っています。
だからといって、大人がそうなのだから、子どもは仕方がないとあきらめてはいけません。
我が子を「いじめ」から守りたいというのは、どの親も同じです。
今回は、「いじめ」について自分の実体験からもまとめたいと思います。
いじめの世界から子どもを守る方法
結論からいうと、子どもを自律させてあげることです。
自分で自分を客観的に見る力・問う力を養ってあげることで、自分の言動を振り返ることができます。
そのために、親がするべきことは、
・いいこと、悪いことをはっきりと教えること
・もし自分がそれをされたらどう思うかと問うこと
・親はどんなときでもあなたの味方であると伝え続けること
・自信をもたせること
・一緒に遊んであげること
・親自身が言動に気をつけること
・いじめと戦うことの大切さを教えること
さて、自律とは、すべて自分で0から考えて決断して行動することではありません。自律とは、ある一定のルール(選択)の中で、自分で決断して行動することです。ルールの決め方はいろいろありますが、少なくとも子ども自身がすべてを決めることはできません。ある程度のルールを親と一緒に作りながら、最終的に自分自身で決断して行動できるように導いてあげましょう。
1つ自律に向かっているかのチェック方法をお伝えします
例えば、何か忘れ物をしたとき
A「用意が雑だったから、忘れ物をしてしまった。」
B「お母さんが用意してくれなかったら、忘れ物をしてしまった」
Aと考えている場合は、自律に向かっています。つまり、非は自分にあると。Bと考える場合は、自律ができていません。非は他にあると。
Aと考えるようになるためには、放っておくということではなく、また、怒ってさせるのではなく、一緒に用意をしたり声をかけてあげながら、自分で決めて動くようにしてあげましょう。
自分の子どもがいじめる側にならないようにする
子どものいじめは「おもしろい」という感情が始まり
① いじめの種を子ども自身に気づかせることが大事
私たちは、「からかう」「冗談をいう」ことを面白いと思う場面があります。これは、テレビ番組を見ていてもそうなのです。
本来なら、それをするにあたって線引きがあり、これ以上はだめとか、これはやりすぎなどの理性が働くのが普通です。
だから、教師時代よく子どもに言っていた言葉に
「〇〇をして、おもしろいという気持ちが生まれている。それがだめなんだ。」
「その「おもしろい」という気持ちは、相手が嫌がっていることが分からなくなる。みんながやっている。みんなが笑っていると自分がやっていることを正当化してしまう」
と、言い続けてきました。そして、それが、いじめの種なんだと指導をしてきました。
つまり、いじめの種が育つとは、だれにでもあって(そうしたお笑いを面白いと思うでしょ)、でもそれを育ててしまうと、いじめをしていておもしろいという気持ちになってしまうんだということ。
それでも、残念ながら、「いじめの種」は、毎年見つかります。どんなにすばらしい素敵なクラスでもです。
そこから、エスカレートするのか、それを笑いとしてみんなで共有して終わるのかは、だれにもわかりません。
だからこそ、必ず、その先を見据えて、教師は存在すべきなのです。教師もいっしょになって・・・なんてのは、絶対にだめなのです。
そして、その教師の対応が、そのクラスの線引きとなることも多いのです。
つまり、親自身がその線引きをちゃんと示していないと、子ども自身がいじめる側になる可能性もあります。
その代表例が、「〇〇菌」というタッチいじめではないでしょうか。
だれだれが触ったと言って、それを菌扱いして、友達にタッチしていくといういじめです。最初は、そのときだけかもしれません。
でも、それが次の日も、次の日も・・・と続いたりしていきます。本人は、「やめてよ~」とはじめは笑顔で答えているかもしれませんが、それを「楽しい」「うれしい」「遊んでいる」と思うのは、周りだけで、菌扱いされている本人が気持ちいいはずはありません。でも、これを「遊び」と言ってしまうのが、「菌遊びをしておもしろい」と思ってしまっている気持ちであり、それがいじめの種なのです。
まずは、こういう気持ちが「いじめの種」なんだと教えることが大事です。
② いじめの種から芽が出たら枯れさせる
とはいえ、だれかを「ばかにして」「からかって」ということは、どんなに仲がいい子の間でも起こります。逆に、お互いにほめてばっかりという関係は、異常です。でも、こうしたことを繰り返しながら「言い過ぎた」「やりすぎた」「こんなことを言われたらいやなんだ」と経験していく中で、子どもは人間関係を学んでいっているのも事実です。つまり、ただの「けんか」で終われるのです。それは、対等な関係ほど、仲直りや振り返りがしやすいものです。
ただ、学年が上がっていくと、この人間関係に、少なからず上下関係が生まれることがあります。そうなると、「する方」「される方」に分かれてしまいます。そして、けんかにならないように、される側は、する側の顔色をみながら、受け答えをしてうまくその場を乗り過ごそうとします。いわゆる「いじる」「いじられる」です。そうした集団として、安定して仲良く終わるということもありますが、いついじめが起こってもおかしくない状態が常に存在していることも事実です。
残念ながらある程度までいくと、本人が気づいてやめるということはほぼありません。必ず、誰かに「こんなのおかしいよ」と言われて初めて気づきます。
いじめの芽が出ていたら、枯れさせるのには、何かきっかけが必要になります。
だからこそ、種で終わらせることが大事です。
我が子がいじめられないために
ちょっとした勘違いやずれで始まることが多い
① 相手を思いやる気持ちを持たせること
※先に述べておきます。いじめられないために「けんかに強くなる」「いじめる側になる」というのはなしで
まず、相手をおもいやれることが大事です。つまり、相手の気持ちになれることです。
そのために、親子や兄弟げんかがあったら、頭ごなしに注意をするのではなく、「自分がそれをされた(言われた)らどう思うのか」と問い続けてあげてください。
必ず、自分で自問できるようになります。
② はっきりと「嫌」と言えること
何かをされたときに「泣いて終わり」とかそうではなく、「それは嫌だ」と伝えることの大切さを教えてあげましょう。
当然、相手は多数いるかもしれません。そんなときに、相手に逆らうことは難しいでしょう。しかし、はじめは、些細なことから始まるものです。はじめにしっかりと伝えることが大事だということを教えてあげましょう。
ただ、これをいつどう教えるのかは難しいかもしれません。
テレビでそういうアニメを見たときや、作り話でもいいので、聞いた話や親自身の実体験として話をしてもいいでしょう。
③ 相手に嫌なことを言われたらある程度返すこと
これは、口喧嘩になりそうな気がするかもしれませんが、相手が仕返し(言い返し)をしてくることが分かっている相手に対しては、意外と戦いをさけたくなるものです。手を出すことはだめですが、嫌だと言っても言ってくる場合は、言い返すことも大事だということを教えてあげましょう。
例えば
「●●菌がついた~」
→ 「どこに見えるの?」
「そんな悪口言わない方がいいよ。みんなに嫌われるよ。」
「菌だったらいろいろな菌がそこら中にいるよ。知ってるでしょ。」
「ビフィズス菌は、牛乳をヨーグルトにかえるとってもすてきな菌だよ。菌って使い方で人間を幸せにしてくれるよね。」
「うざいんじゃ」
→「お互いにね。」「君もだよ。お互い様」
「自分もじゃないの。」
「そんな悪口言わない方がいいよ。うざいと言われてうれしい子はいないよ。」
また、ときには、先生や大人に伝えることも教えておきましょう。
子どもをいじめから守る方法のまとめ
自律させてあげること。自分で考えて行動できる力をつけてあげることです。
最後に、自分が教師時代に本当にあった6年生での話をして終わりたいと思います。
~6年生担任時代~
2年生と4年生のときに学級崩壊があったちょっと大変な学年でした。
6年生の1つのクラスを私が受け持つことになったのですが、2学期後半から少しクラスが2つに分かれた気配がありました。
それまでにも、いろいろないじめの種がありました。それを、見つけては何とかがんばって消してきました。
ただ修学旅行を終えた11月ごろ、ある女の子が、1部の男女(男4人、女子3人)のグループからいじめを受けたのです。
実は、その予兆(何となく変な雰囲気)はありましたが、私自身が、それを見逃してしまったというより、あぐらをかいて「考えすぎだろう(気のせいだろう)」と思ってしまったのです。
後でわかることですが、いじめは、髪の毛にセロハンテープを付けられたり、帰りにランドセルをたたかれたりと、あったようです。
ただ、そのいじめに参加していたグループの男子の一人が、「こんなんやめよう」と同じグループの男の子に言って、その2人はそのグループを抜けました。
そして、その抜けた男子の一人が、私に「●●さん、いじめられてるよ」と教えてくれたのです。教えてくれた子は、自分もしていたこと、そして、「こんなんやめよう」と誘ってくれた友達に感謝をしていました。
いじめは、解決につながりました。小さく終わらず、生徒指導の先生や親とも話し合いました。もともと男子はしっかりとした子(こんな子でもいじめの芽が出てしまうと分からなくなるんですよ)だったので、女子は反抗的な感じはありましたが、男子がしっかりと見てくれていました。
いじめられた子も、1度も学校を休まず、卒業式までがんばりました。友達と過ごしながらも、いじめられたことの記憶はきっと残っていただろうし、もしかしたら、まだまだ不安があったかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
さて、このいじめが起こってから、「こんなんやめよう」と言った男子。そして、それを聞いて「はっ」として、何とか先生に言って解決してもらおうと考えた男子。結果として、いじめ側にいたのでその子たちも悪いんだけど、「こんなんやめよう」と言った子は、いじめのグループに所属しながら、いじめの種を育てることなく苦しんでいたと思います。気づかされた子は、いじめの芽が育っていたところ、その芽を枯れさせることができたんだと思います。