不登校という選択肢はありなのか?

教員として約20年、現場で働いてきました。

その中で、「不登校の子ども」「不登校気味の子ども」「学校を休みがちな子ども」など、いろいろな子どもと出会いました。

まず、結論からいうと、「不登校」という選択肢はありです。

きっと、もう今の時代はそういうことが認められている時代になってきています。

心が傷ついてしまって学校へ行く方が危険だったり、擦り切れてしまう状態の場合は・・・と今は思っていす。

ただ、不登校気味や休みがちな状態なら、どうしていくかというのは、周りとの関わり次第ではなでしょうか。

今回は、学校を休みがちだった子たちとの関わりとその後についてのお話を通して、これから自分の子どもにとってどう選択すればいいのかという参考の1つになればと思います。

 

 

学校を休みがちの子どもとのかかわり事例

 今回は、私の経験した事例をいくつか紹介したいと思います。

学校を休みがちな子どもとの関わり事例その1

 小学2年生の担任をしたとき、1か月に2~3回ぐらい休む男の子がいました。

 はじめは、体の弱い子なのかなあと思っていましたが、学校にいるときは、とっても元気で運動も大好きな子で、とても体が弱いという感じはありませんでした。

 いつも、「調子が悪い。お腹が痛い。」という欠席連絡があり、ずっと家庭訪問をしてその子と親と話をして帰るだけだったのですが、一度深堀して聞いてみることにしたのです。

 すると、「●●くんと喧嘩した」「●●さんが悪口を言ってきた」とか、そうしたことを理由に休んでいました。

 お母さんは気づかって、腹痛とか熱とかの理由にしていたようです。

 お家の方も、「みんなも休んでいるんじゃないんですか?」という感じで、とくに何も思っていなかったようなので、1度話をしたんです。

 まず、

「年間に無欠席の子が何人ぐらいいるのか?」

「1,2日ぐらいの欠席の子が何人ぐらいいるのか?」

 ※これだけで、当時の学校は、90%以上になります。

 その数を聞いて、お家の方はびっくりされていました。みんなもっと休んでいるんだと思っていたようです。

 ※2年生というまだまだ「正義」というものが通じる学年ということを前提に

「●●くんと喧嘩をして何がいやだったのか」「あなたは、どうしたいのか」「●●くんと仲直りしたいなら会わないと始まらないよね」と。

 ところが、実際学校に行ってみると、●●くんと喧嘩なんかはしておらず、うそだということがわかりましたが、そこは攻めずに何も言わないことにしました。

 「どうしても学校に行きたくない(お母さんと離れたくない)ときに、休む口実を作っていたんだなあ」

と。

 そこで、そのことを責めるのではなく、「友達と喧嘩したときや何か気になることがあったときは、まず先生に報告しにきなさい」ということに決めました。

 それから、1度だけ言いに来たことがありましたが、それ以外は、いっさい言いに来ることはなく、本当に熱が出たとき以外、欠席することはなくなりました。

 3年生と4年生での欠席は、熱が出た2日だけで2年間を終え、あるとき、そのお家の方と出会うことがあり、先生とあのとき話をしていて本当に良かったといわれていました。

 5年生では1度も欠席がなかったということで、花束を持ってお祝いをしてあげました。そして、6年生でも無欠席で卒業をしていきました。

 

 

学校を休みがちな子との関わり事例その2

 6年生で持った男の子。勉強もでき運動も大好きでしたが、友達との関わり方が苦手で、とくに低学年のころは、よく友達と喧嘩をしていたようです。また、頭に血がのぼる(きれる)と、見境がなくなり、ものを投げたり突飛ばしたりして、怪我をさせたこともあったようです。

 そのころから、休み癖があるということは聞いていました。

 ある時、お腹が痛いから休ませますというお母さんからの連絡を受けて、放課後、お母さんの考えを聞くことにしました。すると、お母さんとしては、学校へ行ってほしいけど、低学年のころ「迎えに来てください」ということがよくあり困った(働いているので)。本人が休みたいというときは、休ませるようにしているということでした。

 また、友達関係がうまくいっていないのではと心配もあり、心を落ち着かせる必要があるのかなと、低学年のころから今に至っているという感じでした。

 そこで、本人と話をする中で、今、学校は楽しいということだったので、

「お腹が痛いから1日行かないという選択をするのではなく、本当に行けるか行けないかを考えていかないとね。今は、親の力を借りて休んだりできるけど、これからは、自分が自分の体の弱さと向き合っていかないとだめになってくる時が来るから、その練習をしていこう。」

ということで、

① 熱がなかったら行く選択肢を重視する

② 歩けないぐらいお腹が痛かったら休むか、それでも学校へ行きたいということなら車で送ってもらう(親が無理なら先生が迎えに行く)

③ 学校でやっぱり生活できないと思ったら遠慮なく保健室へ行けばいい。元気になったら活動に参加すればいい。

これらの約束ができたのは、この子が、授業で活躍できる学力があったからかもしれません。授業は楽しかったようなので。また、新しい友達ともうまくやっていたこと。そして、6年生という最後の小学校生活を、できるだけみんなと思い出を作れる時間を共有したい(してほしい)という願いがあった(受け取った)からもあると思います。

以降、この子が学校を休むことはなくなりました。そして、親はもちろん私が車で迎えに行くこともなく卒業していきました。

そして、中学でも休むことはなく、生徒会として中学校でも中心となって活躍していたようです。

  

 

学校を休みがちな子どもとの関わり事例その3

 5年生の女の子。人とかかわることは苦手なタイプでしたが、仲のいい友達もいました。

 ただ、運動が嫌いだったこと。あと、家から学校の距離が遠く、その通学がしんどいとよく言っていました。さらに、食べ物の好き嫌いが多く、給食のメニューによっては、かなりいらいらしていることも多くありました。無理やり食べさせることはしてなかったのですが、そもそも食べれるものが少なすぎて、給食も楽しくないという日がほとんどでした。つまり、学校自体は好きではないとう感じでした。

 ただ、私との関係は良好だったので、まさか、学校を休むようになるとは思いもしなかったのですが・・・。

 夏休みが明けた4日目。給食の嫌いな食べ物も全部食べて、発表もがんばって笑顔で過ごした次の日。突然、お家の方から連絡を受けて、部屋に閉じこもって出てこない。学校へ行かないと言っている。という連絡が入りました。

 私が行っても「会いたくない」「話したくない」ということで、理由は分かりませんでした。

 お家の方は、学校での様子を聞いてきましたが、前日はそんな感じでがんばって笑顔で過ごしていたので、理由は全く分からないと伝えました。当然、お家の方は、学校(私)へ不信感を持ったと思います。

 その放課後、電話連絡すると、「クラスに私のことを嫌いな男の子がいる。にらんでくる。だれかは話したくない」と言っているということでしたが、だれかは、まったくわかりませんでした。ちょっと、口の悪い子だったこともあるので、ときどき、言い合いをしていたことはありましたが、そのあたりで、ちょっとストレスが溜まっていたのかなあとそのときは思いました。

 そうして、毎日家庭訪問をしてお家の方(お母さんやおばあちゃん、お父さん)とお話をしましたが、本人と話せることはありませんでした。とにかく、私が行くと、部屋に閉じこもるという感じでした。

 1週間ほど経ったころ、おばあちゃんが、ちょうど学校へ行かなくなる前日の夜、宿題を弟がしていなくて、怒ったそうなのですが、そのときに、本を読んでいたお姉ちゃん(本人)も、怒ってしまったようなのです。

 本人も宿題を終わらせてなかったようなのですが、「この本を読んだらする」と言ってきたそうなのですが、おばあちゃんは、それでも怒って「今すぐしなさい」と言ったようなのです。

 もしかしたらそれが最終的な原因(大好きな本が読めない。学校へ行くと宿題が出てそれをしないと怒られる。宿題がなかったら大好きな本が読める)かもしれない。結局、これが理由かどうかは最後まで分からなかったのですが、休む理由も、二転三転する感じで、どうも、男の子との確執ではないとお家の方も判断されました。

 3週間ぐらい休みが続いたころ、急に先生と会いたいということで、放課後に車にのってやってくることがありました。お家で勉強していても、算数だけはどうも分からないところがあるということで、月曜日の放課後に算数だけ勉強をすることになりました。

 そこから、体育館で体を動かしたり、別の勉強もしていこうということで、クラスには入らないけど、いろいろな勉強を学校でするようになりました。

 2学期の終業式に教室へ入ってみるという約束もしていて、2学期の終業式当日は、教室へ入り、みんなと最後まで過ごすことができました。

 3学期には、朝の授業に間に合うことはほとんどなかったですが、2時間目ぐらいからは教室へ来るようになりました。

 3学期の終業式にはみんなそろって終業式をしたいと思い、何とか朝の始業時間に間に合うように来てほしいと伝えていましたが、結局朝に行くことができず、そのまま最終日は休んでしまいました。

 お家の方に聞くと、前日は、絶対に行くと言った感じで、前日から用意をしていたようですが、やはり、これまでの普段が朝遅く起きる生活リズムになっていたせいか、朝起きることができず、お家の方が起こしても起こしても起きることができなかったようでした。

 逆に、いつでも来ていいよと言っていたら、いつものように9時半とか10時までには来て、最後みんなで過ごして終わることができたかもなあと、約束したことを後悔しました。

 そして、6年生でも、来たいときにきて、しんどいときは、机の上で寝て授業を過ごしているようでした。その子の担任ではなくなったということもあってか、私の教室に遊びに来ることも多く、いろいろ話してくれました。

 その子が抱えていた問題は、

 お姉ちゃんと弟ばっかり親がかわいがっているというストレス。

 良くできるお姉ちゃんと比較されるストレス

 自分はどんなにがんばっても褒められることがないことへの不満

でした。

 卒業式当日は、お手紙をくれて感謝の気持ちをたくさん書いてくれていました。

 中学でも、同じような感じで卒業したようですが、もともと勉強はできていたので、高校へ進学。ただ、出席日数が足りなくて留年したというところまは耳に入ってきました。退学したかどうかまでは分かりません。

 

不登校の問題と教師の負担を両方考える必要があるかもしれない

 この3つの事例は、私がかかわった子どもの一部で、実際はもっといろいろな子とかかわっています。また、他の教室でも学校へ行きづらい子どもたちはいて、先生方は熱心に接しています。

 こうした子どもたちが増えることで、先生たちの負担はどんどん大きくなっています。

 実際、私が過去に一番大変だったのは、3人の学校へ気づらい子がいた年があり、その日は、朝の6時に出勤して、7時に一人の子どもを起こしに行くことをしていました。30分ほど一緒に過ごして、ごはんを食べさせたり、学校の用意を一緒にして、学校へ行くかどうかを考えさて・・・。他の2人は、朝に会うことはできない感じだったので、授業のない時間に会いに行ったり、放課後に会いに行ったりして、学校は、17時半とかに出るけれど、その2人に会って帰るので、帰る時間は、19時とか20時になることもありました。

 本来なら授業のない時間に、宿題を見たり雑務をするのですが、その時間がなく、家に帰ってからするという日々。当然、家に帰ってから教材準備もあり、2,3時間しか眠れないということもざらにありました。この年は、自分の時間はもちろん自分の家族と過ごす時間もない日々でした。

 また、不登校傾向にある子どもたちとかかわりすぎることで、ちゃんと学校へ来ている子どもたちと関わる時間は減り、宿題の丸つけや日記へのコメントなども物理的に時間がとれていなかったです。

 

 結論として、私は関わりすぎているのかもしれません。でも、こうして関わることで、不登校傾向の子どもはどんどん元気になるし、学校へ来れることも多くなりました。実際、朝7時に家に行っていた子も、4年生までほとんど学校へ行けなかった子でしたが、5年生の2学期には、登校班の子たちと一緒に行くことができ、2学期は熱が出た1日だけの欠席でした。3学期は、寒さに負けてしまい、朝にくることができない日もありましたが、年間で13日しかお休みしなかったのは、本人も親も「一番学校へ行けた年だ」と喜んでいました。

※けっして、無理やり学校へ行かしたことはありません。

 また、心がけていたことは、私が家に行くことがプレッシャーだけになるのではなく、「うれしい」「ありがとう」と思ってもらえるように行動していました。

 関わることで結果が変わるかもしれないという期待と、先輩教師がそうしてきているという事例が、どうしても、これから教師になる先生の負担を大きくしていくと思いますし、私も教師はそうあるものだと思って行動していました。

 また、2学期に来れるようになっていたということで、3学期に気辛くなっている子どもへの対応が甘いのではないかと、生徒指導の主任からおしかりを受けることもあり、私は必至で対応しているのに評価されない実態がありました。

 学校へ行かなくてもいいという選択肢を子どもが持つことはいいのですが、教師の対応にもしっかりと線引きしないと、お家の方も「担任はここまでやってくれる」と思うだろうし、「前の担任はここまでやってくれた」と、これからの先生との関係にも大きくかかわってきていまいます。

 子どもが学校に行かなくてもいいという権利を持つと同時に、教師の仕事も一緒に社会全体で認識を変えていく必要があると思います。また、当然、そうした子どもに関わる専門機関を教師が当たり前に任せられるように、親が頼れるような制度文化を作っていく必要があると思います。

※けっして制度がないのではなく、子どもを見捨てたとなってしまう風潮を変えていく必要があるということ

※結局専門機関と連携するために話し合いをしたりすること自体がそもそも忙しい教師の仕事の負担になってしまっていること

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